氣が付かない

よくいろんな人の意識についてお話しをする事がありますが

そういう時に帰ってくる返答は

「氣が付きませんでした」

というお返事。

氣が付かないという事は

その部分は全く自分の中にはない事になっているか

自分の中では無視すると決めて居るか

どっちかだとおもいます。

氣が付かない・・・

氣付けない

は一方向にしか物事を観て居ない

例えば、前の信号が青だからって青だけをみて

右も左も見ないみたいな。

普通に道路上でこんな感じだとどうですかね?

とっても危険!って思わない?

例えば、小さな子は自分の目の前にあるボールしかみてなくて

ボールが転がっていく先しかみてなくて

右も左も見ない・・・なんて状況を目の当たりにしたら

危ない!ってはらはらしない?

そんな感じで日常やり過ごしてるって思うとどう?

結構危険か無謀かも?って(笑)

だから、氣付けないは致し方ない感じがするかも

もしくは、とっても正当性のある理由に感じるかも。

だけど

実は、右も左も見たくないから見ないだとどう?

大人は何が起こるか想定もできるし

予測行動もとれるでしょ

でも、見ない・・・って

表面にはあがらないけど、無意識は無視するって決めてるって思わない?

だって、危険な事も

対処しなければならない事も百も承知だとおもうんだけど

それを

「氣付きませんでした」でいい事になっちゃってるから

そこは永遠に観える事も変化する事もない。

だとすると、「氣付きませんでした」は

理由にならないって思うけど

どう?

正しく変換すると

「そこは立ち入る氣はありません」

じゃないかと思うんだけどね~

(;´∀`)

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